相続体験記(3) 未明の電話

相続体験記

今回は、未明の電話からはじまった「その日」の怒涛の一日について記録しておこうと思います。

第一報

こんにちは、ふぶさんです。

2021年12月某日未明、寝ていたふぶさんの家の電話が鳴りました。
こんな夜中にかかってくる電話は、イタズラ電話か、よくない知らせと相場が決まっています。
電話に出ると、重い声で
「○○病院ですが、お父さんの容体が急変して。どなたか来てもらえますか?」

ふぶさん
ふぶさん

ついに来たか、と思いました。

父の入院先の病院はA市の実家の近くにありますが、ふぶさんは隣県のB市にいます。
すぐ実家の母に電話して病院に行くよう伝え、ふぶさんは車でA市の病院に向かいました。
A市まで車で急いでも2時間はかかります。

第1報から1時間ほどでしょうか、病院に向かう車の中で、病院から再び電話が。
「お母さんに来てもらいましたが、お父さんは亡くなられました。葬儀社は決めてあったとのことなのでこちらに呼んで、お父さんをご自宅の方へ運んでもらいました。お母さんも葬儀社の人と一緒にご自宅におられますので、そちらへ向かって下さい。」

ふぶさん
ふぶさん

えっ? 
さっきの電話からまだ1時間程度なのに、情報量多すぎない? 
父もう亡くなった?
もう葬儀社呼んで、うちに運んでもらった?

……そっか、臨終には間に合わなかったのか。
高齢の母は動揺してるだろうから、電話して、すぐ行くから落ち着いて待つよう伝えよう。

後から母に聞いた話では、母が病院へ行き父の病室へ案内される時点で、看護師さんに「実はもう…」と言われ、父も身ぎれいにしてくれてあったようです。

そして、葬儀社は決まっているか、家と葬儀の式場とどちらへ運ぶか、と聞かれたので、とにかく混乱している中、葬儀社は決めてあること、家へ運んでほしいことを伝えたのだそうです。

実家に到着

まだ夜明けまでには時間があり、真っ暗ななか、A市の実家に到着。
うちに入ると、座敷に布団が敷かれ父が安置されてあり、母とスーツを着た葬儀社の人が、ふぶさんの帰りを待っていました。

ふぶさん
ふぶさん

なんと手際の早い…。
まあ助かるけど。

葬儀社の人に名刺をいただき、そこから怒涛の打合せが始まりました。
まずは病院から預かったという「死亡診断書」「退院のご案内」を受け取ります。
そして葬儀社の「葬儀申し込み確認書」にサインと押印
喪主の名前は母ということにして、事実上はふぶさんが対応するということにしました。

この時点で、どのような葬儀を希望か、地元の新聞のお悔やみ欄に訃報をのせるか等を聞かれました。
この頃はコロナ禍のちょうど波と波の谷で、冠婚葬祭もぼちぼち復活しつつある時期でした。
とにかく何もわからないので勧められるまま、葬儀を葬祭ホールで行い、新聞に訃報も載せる手続きもしてもらうことに。

ふぶさん
ふぶさん

ぶっちゃけ、動転した状態で、矢継ぎ早に、あれはやりますか? これはやりますか? 
と聞かれても、わけがわからないままオプションが増えていきがちです。

葬儀社の人に促され、「死亡届」を記入
「死亡届」と「死亡診断書」は1枚のA3用紙のそれぞれ右半分と左半分になっていたので、病院からもらった「死亡診断書」の左半分に追記しました。

死亡届等を市役所に提出し、火葬許可証をもらい、火葬許可証を火葬場に提出する、等の手続きは葬儀社で代行してくれるとのこと。
後々の手続きで必要になる場合もあるからと、死亡届のコピーもとっておいてくれました。

また菩提寺があるか、あるならどこかと聞かれ、菩提寺への連絡と、通夜・火葬・葬儀等の日程調整も葬儀社で進めてくれるとのこと。

そして葬儀社の人は、昼頃に再度打合せに来ることを約束し、「次回打合せまでにご用意いただくこと」リストを手渡し、夜が明ける前にいったん帰りました。

ふぶさん
ふぶさん

葬儀社の人も、こんな真夜中に突然呼ばれて、スーツ着て、病院行って、遺体運んで、葬儀の契約して、市役所に向かうとか、大変な仕事だな…。

そして残された家族だけで、あらためて父と対面

親族等への連絡

「次回打合せまでにご用意いただくこと」リストには、葬儀に出席する親族の人数把握がありました

夜が明けてから、市内に住んでいる近場の親族から順に電話をかけていきました。
近場の親族はすぐかけつけてくれ、また他県の親族には葬儀等の日程が決まったらまた連絡すると伝え待機してもらいました。

この日からしばらく、親族の食事や移動のタクシー等を含め領収書はすべて保管し、お布施など領収書のないものはメモを残すことを徹底。家族であっても誰のお金から支払ったかメモ。

ふぶさんの勤務先(直接の上長)にも休暇(忌引き)の連絡をします。
ふぶさんの勤務先では、休暇(忌引き)が1週間、また社名で弔電と供花が出ますが、この日は土曜日、週明けからの手続きでは間に合わないだろうと弔電と供花は遠慮すると伝えました。

そして昼から、本格的に葬儀の打合せが始まりました。

次回へ続きます。

※本記事では、固有名称は伏せつつ、できるだけ正確な記載に努めていますが、時期や地域等で事情は異なります。あくまでも一個人の事例と認識ください。

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